プロローグ

少しだけ、彼女と私の話をさせてほしい。

彼女は私の所属するサークルの後輩である。

初めて出逢ったあの日から、その天真爛漫な姿が私の心を掴んで放すことがないが、しかし私は冷静であった。直ちに想い人の本丸への突入を試み、あえなく玉砕する阿呆どもを私は何人も見てきた。

私は「ナカメ作戦」によって、私という存在を様々な角度から彼女の深層心理に潜ませることにした。

ナカメ作戦とは、「なるべく彼女の目にとまる」の頭文字をとったもので、ある日は中央食堂で、またある日は出町柳駅で、哲学の道で、鴨川デルタで、作戦は確実に遂行された。

彼女は私と目が合うと、朗らかな声で「奇遇ですね、先輩」と声をかけてくれる。

私はそのたびに「いやあ、たまたま通りかかったものだから」と応える。

私の方は喉から血が噴き出るほどに「たまたま!」を繰り返してきたのであるが、彼女の声色は一向に変わらず、常に天真爛漫なのである。

「あ、奇遇ですねえ、先輩」 こうして彼女の外堀を埋め続け、半年が経った。 11月下旬。私は学園祭へ顔を出していた。 模擬店、講演会、大道芸と、まるで「非日常」のバーゲンセールである。その不毛な情熱を押しつけられたところで、私の目的は何ら果たされることはない。 私はサークルのあらゆる伝手を辿り、彼女が探し求めている「ある絵本」が学園祭の古本市に出回っていることを聞いた。 その絵本が手に入ればナカメ作戦の秘密兵器となること間違いない。今後、たまたま彼女に手渡すことができれば外堀はより強固なものとなる。 吉田南構内の共西41教室には学園祭本部が設置されている。学園祭の情報を得るため、私は数少ない友人を訪ねにやってきた。 「珍しいじゃないか。君が学園祭に来てくれるなんて」 彼とは1回生の頃からの付き合いになる。 学園祭事務局に所属し、その端正な顔立ちに向けられる黄色い声には耳を貸さず、学園祭の準備運営に明け暮れる生活を送っていた。 3回生の今年、彼はついに学園祭事務局長の座に上り詰めた。この阿呆の祭典に懸ける彼の情熱は微塵も理解できないが、どういうわけか私は彼と気が合った。

彼は茶を出しながら言った。 「またナカメ作戦だろう。ダメだよ、そんな外堀を埋め続ける日々からはもう脱出しないと」 脱出? まるで私が何かに囚われて外堀を埋めているかのような言い草だ。馬鹿馬鹿しい。私は最善の手として自らこの道を選んでいるのだ。 「俺には俺のやり方がある」 「一本連絡を入れて、お茶にでも誘ってみればいいじゃない」 事務局長殿は勘違いしているが、私は彼女の連絡先を知らないのである。だが、そこはナカメ作戦の本質ではない。大切なのは、耐え忍ぶ勇気である。 話題を変えよう。私は彼女が欲しがっている絵本を探していることを伝えた。 「なるほど、悪くない。しかし、たった一つの策では心許ないな」 彼は怪しげな笑みを浮かべて茶をすすった。 「この僕が君に目標を設定してあげよう。この学園祭の間に、 ・絵本を見つけて彼女に手渡す ・彼女とスペシャルライブを観る ・彼女とフィナーレのキャンプファイヤーを見る どれか一つでも実行してみせたまえ」 「飛躍が過ぎるぞ! 慎重さを欠いた危険な策ばかりだ」 「慎重過ぎるんだよ、君は。せっかくの祭なんだから、これぐらいやってみなよ」 「……分かった。まずは絵本を探す。そこからじっくり考えるよ。この学園祭のことを教えてくれ」 彼は「これを見てくれ」と言って私に新聞を差し出してきた。新聞部による「学園祭特集」のようだ。

「実は今『偏屈王』というタイトルのゲリラ演劇が学園祭を騒がせていてね。知っているかい?」

学園祭特集

新聞でのコメントとは裏腹に、事務局長は満足気だ。発言が新聞に取り上げられて嬉しいのだろう。 「実は、『偏屈王』を追うのに手間取っていてね。君に手伝ってもらいたいんだ」 「話が見えないな。彼女の絵本と『偏屈王』がどう関わってくる?」 「関係はないさ。ただ、絵本探しで学園祭を巡るなら、そのついでに『偏屈王』を追うのを手伝ってもらいたいんだ。どうせ他にやることもないんだろう」 「露骨な奴だな」 「僕はここを離れるわけにいかなくてね。現地調査は君に任せる。これからはチャットで連絡を取り合おう」 「まんまと君のペースに巻き込まれてしまったな。よかろう、乗ってやろうじゃないか」 かくして私は不本意ながらも事務局長の要請に応え、『偏屈王』の謎に挑むこととなった。残念ながら諸君も道連れ、私と共にこの祭を存分に練り歩いていただこう。 祭とは縁遠い私が如何にして恋路を阻む数多の阿呆と謎を掻い潜り、麗しき黒髪の乙女との邂逅を果たしたか。 これはその全記録である。 進む
企画:京都大学勤勉論部
Twitter:@nf_otome
声の出演:尾木 藍

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